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好きなものの話をします

音楽シーン・再考





 音楽と私たちの関係について、きっかけがあったので少し考えてみようと思います。


 主軸となる論点は、「現在の邦楽シーンは本当に落ちぶれてしまったのか?」です。テレビのメディア機能低下とそれに伴う音楽番組の弱体化は、私たち日本人と音楽の距離を大きくしてきました。CDランキングを見ても、特典により売り上げを築くようなアイドルばかりが名を連ね、いわゆる名曲がほとんど存在していないように感じます。しかし、現状を批判していても仕方がありません。なぜこのような現況に至ったのか。そして、音楽業界が衰退したというのは本当なのか、もしかすると思い込みなのではないか、など、客観的に考えなければならないように思います。

 
 ただし、私個人としては、音楽はそんなに考えるべきものではないと思っています。矛盾ですね。
というのも、自分が好きな曲があって、それを聞いて楽しくなったり、感傷に浸ったりできればよいのだと私は思います。それ以上も以下もない。音楽自体そんなに好きじゃない人がいるのも当然。普段から聴かないよって人がいるのも当然。もちろん音楽好きだよーって人がいてもいい。

 そう、どうでもいい。音楽業界がどうであるかなんて。少なくとも、消費者でいる限り。

 それでも、音楽を取り巻く環境が変わってきたということは、22歳の自分も少しくらいは感じています。だから、それを書いていきます。
 そして、書いた後も、今までと変わらずに音楽と付き合っていけたらいいなと思います。読んでくれた方にも、読後も変わらずに音楽と付き合っていってほしいなぁと思います。影響を与えようなどという意気込みは一切ありません。

 まだまだ足りない気もする前置きですが、このへんで止めて、早速色々考えていこうと思います。



①CDランキングの捉え方

 現在の音楽業界を知るうえで、一つの指標になる(かもしれない)2015年の年間オリコンCDランキングを見てみましょう。
オリコン年間 CDシングルランキング 2015年度 | ORICON STYLE

 2015年。個人的にはほとんど音楽番組も追わず、自分の好きな音楽ばかり聴いて過ごしていたので、全くトレンドの情報もないままにこのランキングを見たのですが、正直ここまできたかぁと驚きました。いよいよ、ランキングでJ-popを語ることへの問題が際立ってきたと感じました。
 見てもらえば分かるのですが、AKB48のグループ・乃木坂46・ジャニーズ所属グループ・EXILEグループでトップ10が占められているのです。この傾向が顕著になったのは、嵐が潮流に乗る2009年以降で、2010年からはAKB48が国民的人気を獲得してさらに拍車がかかりました。なんでこんなに売れるのか、という話で、よく言われるのは特典商法ですよね。買えば買うほど握手会などのイベントに参加できたり、時には買った枚数で特定のメンバーを応援できたりなど、音楽に商業的付加価値が添加されています。そこに、「そんなシステムで売れるなんて、特典もなく売ってる自分たちが勝てるわけないじゃないか!」という批判も存在します。一方で、買う側も買われる側も損をしていないので、当事者の口から特典商法を取りやめにするなんて考えを聴くことはできないでしょう。マンネリ化は否めない気もしますが、特典商法によるランキングの占拠という状況が即座に無くなっていくとは思えません。しばらく続いていくと思います。
 ここで自分が思うのは、特典商法批判・「アイドルソングなんて大した音楽じゃないっしょ」批判が支配的となるあまり、楽曲そのものの価値が埋もれてしまっているのではないかという点です。アイドルの曲といっても、プロの作詞家・作曲家が本気で一曲一曲作っています。アニメソングにも同様の事が言えるでしょう。聴いたことがない人はどうしても「決めつけ」で入りやすいです。音楽をカテゴリー分けして考えることには自分は反対です。誰がどういう背景で歌ったからという点も大切なのですが、楽曲としての魅力は音と歌詞、それに尽きるのであり、過剰なカテゴライズは、楽曲としての魅力を覆い隠してしまっていると思うのです。アニソンだろうが、アイドルソングだろうが、良い曲は良いのであり、やっぱり変な決めつけは良くないと思います。そういう自分が一番決めつけているような気もします。怖い。
 以上のように、特典ありきでのみ売れているわけではないと必死に擁護しました。AKBの曲=特典商法=曲自体は低質、みたいな偏見はよろしくないと思います。それはクリエイターの皆さんに失礼すぎます。AKBの楽曲が好きで買っている人だってたくさんいるでしょう。自分だって、「AKBの曲であるという要素」を除いても、純粋な楽曲として好きな曲はいくつかあります。
 それを踏まえて一歩踏み込みます。基本的に、CDは一枚あれば事足りる商品です。同じ物を何枚買っても、中に入っているのは同じ楽曲(同じ音声データ)です。どんな機器で再生しようと、同じように聴こえます。だから、楽曲に魅力を感じて聴くのであれば、一枚だけ買えば十分なのです。…ものすごく当然のことです。したがって、音楽の楽曲としての魅力をあえてランク付けるのならば、「一人当たり一枚買う」という条件で計算しないといけないのではないかと思います。つまり、a「どれだけ売れたか(枚数)」ではなくb「どれだけの人が買ったか(購入者人数)」で考えていく必要があるのです。特典もなく、一形態での販売しか行われない音楽市場においては、a=bが成立していますが、現在のように複数形態リリース(初回限定版+通常版、など)が通常となっている音楽市場においては、a≧bとなります(複数形態の中から一枚だけを選ぶ人も含むのでa=bも含まれる)。
 
 当然、b「どれだけの人が買ったか」が最適な指標と言い切ることも難しいのです。沢山の人が好む曲=名曲?果たしてそうなのか。極論、音楽なんてランク付けするもんじゃない!極論ですねー。ただし、少なくともaよりかは実用的なランキングになるのではないかと感じます。まぁ、特典商法のが定着する前のランキングの感じに戻る、といってしまえばそれまでですが。
 以上、まずは「ランキングを鵜呑みにしない、でもアイドルソングをバカにしない。ていうかランキングでは音楽業界見えてこない」編でした。ランキングでは全然わからない音楽の潮流。考えてみたいと思います。



②音楽と国民を繋ぐ媒体の変化

 CDが売れなくなった、ヒットソングが生まれない、ポピュラーな新人歌手・アーティストが一向に出てこない。そんなイメージが蔓延する2010年代の邦楽シーン。いやいや、めちゃくちゃいるんだけど、もう以前のような売れ方は難しいのかなというのが自分の考えです。

 自分の知らない時代について書くので、時系列とかゴチャゴチャですが、偉そうに振り返ってみます。
 
 古くは演歌、歌謡曲、そして松田聖子中森明菜山口百恵をはじめとするアイドル曲の人気、ジャニーズの始まり、ラルクアンシエルミスターチルドレン、サザンなどのモンスターバンドの登場。1980ー1990年代のJ-popは今でいう大御所達の全盛期であり、それを見て聴いて育った現在の歌手・バンドも多く存在していることと思います。一方で、物心ついた頃には2000年を迎えていた自分たちの世代は、その全盛期の一端は見たものの、どストライクにはハマれなかった(家庭環境などで個人差があることを留意)。とはいいつつも、2000年代は、モンスターバンド達の脂の乗った楽曲が世に広まりつつ(ex.ミスチル『I LOVE YOU』『SUPERMARKET FANTASY』期)、アイドルではモー娘。松浦亜弥などのハロプロ全盛期、シンガーソングライターのメジャーでの活躍、EXILEの登場など、例をあげるときりがない新しい音楽も生まれてきたような気がします。自分が音楽に興味を持ち始めたからそう感じたっていうのもあると思いますが、J-popがさらに多様化し、様々な人の好みに合うようなエンターテイメントへと広がっていったのではないかと感じます。

 ところがどっこい、2010年代に入ると、勢いが弱まったように思います。どう弱まったかというと、先ほどのランキングの話とも関連しますが、人気アーティストが固定化してしまっているのです。ランキングばかり信じるなと思いつつも、当時どんな曲があったかなぁなんて気になる時には正直ランキングを30位くらいまでざざっと見るのが手っ取り早いのです。さて要するに、2005年とかそこらへんは、ベスト10の時点でアイドルやロックや色んな方面からランクインしている時代なのです。
オリコン年間 CDシングルランキング 2005年度 | ORICON STYLE

 2010年前後ともなると、嵐やAKBが覇権を握ります。それはそれでいい。問題は、その状況がもう五年も大きく変わっていないということです。停滞。今の状況で「今年もAKBが売れた!まだまだブームが続いているのだ!」と考えるのはいささか一辺倒であるといえます。もう何をしてもマンネリな感じがするのは自分だけでしょうか。落ちているとは言いませんが、今後また大きなインパクトを残すことは難しいように思います。それはともかく、やっぱり同じアーティストがずっと売れ続けるのは、見ていて正直つまらない。ファンの皆さんがどう思っているかは知る由もありませんが、波くらいはあってもいいのでは?と個人的には思います。
 
 それでは、もう売れないものは売れないのかという話です。現在も、ロックバンドは無数に存在し、大小差はあれど、各々が各々のファンを得て、様々に活動しています。フェスも流行っているし。決してチャート上位に組み込めなくとも、確固たるファンを獲得して人気を博しているバンドや歌手はものすごく多い。ただし、それらの音楽は、かつてJ-popが全盛期であった頃の大衆音楽とは質が異なっているのではないかと思います。

 質の違いとは何か。
 大雑把に言えば、昔の音楽は、テレビやラジオを通して世間に拡散されて、知名度とファンを得ていたのです。ここで重要なのは、テレビによって「音楽自体に大きな関心がない層」にも自然と知れ渡っていった点です。その意味で、音楽は国民共有のエンターテイメントだった。
 対して、現在の音楽は、選ばれる音楽であるということ。音楽の発信拠点が、音楽好きしか普通は行かない「ライブハウス」であったり、自ら検索をかける若しくはリコメンドされる「youtube」(他様々なオンラインサービス)などであることが大きな特徴なのではないかと思います。要するに、興味関心が前提としてあって、そこから触れる音楽であるということです。

 質の違いとは、音楽と国民を繋ぐ「メディア=媒体」の違いだと思います。
 テレビによって受動的に色んな音楽を聴いていた状況。能動的に検索をかけ、自分に合う音楽を見つける状況。

 その結果出来上がったのは、音楽と私たちの距離の違いです。

 昔:国民みんなが最新の音楽をある程度聴いて知っている→国民的ヒットソングが自ずと生まれる
 今:音楽好き層と音楽無関心層に二極化        →国民的ヒットソングは生まれない

 以上のようなことが言えるのではないでしょうか。余談ですが、履歴書の趣味欄に「音楽鑑賞」と書くのはありきたりすぎて書かないほうがいい、みたいな指摘を私は受けたことがあります。確かに、誰もがやることだよなぁと納得したんですが、実はそうともいえない時代が来ている気がします。

 
 なんとなく、テレビがメディアとして活躍している時代においてテレビ発信の音楽が普及したのは頷けることだし、結果として私たちの耳にもなじみ、「うひょ~!懐かしいぃ」と感慨に浸れるような名曲が沢山生まれたということには納得がいきます。以上はメディアの問題で、また考えなくてはならないのが、楽曲そのものと国民の親和性です。何を言いたいかというと、最近のバンドや歌手の楽曲は今でこそ「選ばれる音楽」として一部の音楽好きにだけ受け入れられる状況になっているけれど、もしもテレビ発信だったとしたら国民的になっていたのだろうか?ということです。楽曲性と、知名度の関係性。

③楽曲のクオリティは落ちたのか

 過去のクリエイター・シンガーと比べて、現在の人々の音楽的センスが劣っているとするならばクオリティは落ちるかもしれませんが、そんなことは誰にも判断できない点です。とはいえ、国民的人気を得られるアーティストは今も昔も一握り。特に今は。

 ところで、音楽はドレミファソラシドの八音を組み合わせて作られるものです。この八音しかない。またコード(和音)も7種類のメジャーコードを基本とした派生のコードしかない。拍も基本となるものは限られています。どれだけイレギュラーな楽曲構成にしようとも、ある程度の制約(音楽の基本ルール)は存在するのであって、その中で常に新しい音楽を創り出していくことは極めて難しいと自分は思います。

 自分は、王道の楽曲構成・コード進行というのは全盛期でやりつくされてしまったのではないかと思っています。
 奇をてらわず、オーソドックスに音を重ね、そこにステキな歌詞がつけば、耳馴染みの良い楽曲が生まれます。ボーカルの力もそこでストレートに発揮されて、ポップソングが出来上がります。
 問題はそれ以降のアーティストがどう作曲していくか。同じような楽曲では戦えない。常に差異化を強いられていく中で、例えば転調を加えてみたり、個性的なボーカリストがプロデュースされたり、使う楽器を凝ってみたり、、アレンジの連続です。結果として、確かに各々のかっこいい音楽が出来上がる一方で、決して国民的に耳馴染みの良い曲調ではなくなっているという事態が起きるのではないかと思います。

 クオリティは落ちてはいない(ていうかそんな事言えるほど音楽分からない)、しかし、国民的ヒットソングの手法・見せ方はもうやりつくされてしまい、何をやっても二番煎じに見えてしまうという状況が今の音楽業界の閉塞感につながっていると私個人は思います。だから、世間に受けなくても個性で勝負、その個性を選んでくれる人がファンになる、という図式です。メディアの話につながりますが、好きな人にはすごく普及するけれど、それ以上の普及が難しい状況。なんだろう、かつてのJ-popは「大きな一つの街」で、ミスチル宇多田ヒカルがその街の中枢を担いながらも皆で盛り上がっていたところ、現在のJ-popは「混在する無数の村」で、隣の村では別のルール・価値観が存在していて、お互いに干渉しない、みたいな・・・。そのような状況にあっては、大勢が認めるヒットソングが生まれる素地など存在しないといえます。だって、みんな好みが違いすぎるのだから。




 


④エンターテイメントの時代の終焉

 最後に、広い視野で考えてみます。80年代頃から2010年(ざっくり)まで続いたJ-popの盛り上がり、大衆音楽の普及。これは、「エンターテイメント」そのものが流行った時代だったのではないかと思います。何を言ってるんだい?という感じですね。
 考えてみれば、映画、テレビドラマ、アイドル、漫画、アニメ、ゲーム、また、お笑い。そのすべての最盛期が、この30年感に凝縮されていたのではないかと考えられます。最盛期というのは、国民に愛される文化・エンターテイメントとしての最盛期です。それが、2010年ごろから、先に述べたような「混在する無数の村」現象が起きて、国民に愛されるアイドルやアニメや漫画が新たに生まれなくなってしまっていると感じています。既視感との闘い。モデルや女優も、確かにみんな可愛いのかもしれないけど、色々いすぎてもう区別がつかないみたいな状況になっています。昔もそうだったのでしょうか…。いずれにせよ、今後、過去のような大物が登場し、世代交代がなされるかと考えると、全く現実感がありません。大衆エンターテイメントは、益々実体のつかめないものとなり、同時に個別化が進んでいき、「エンターテイメント好き」のためだけの存在になっていくと考えられます。今はおそらくその移行期です。お笑い番組について言えば、個人の考えですが、大衆受けを狙っているのだろうけど全く面白くないような芸が、流行ってるような流行っていないような、みたいな不安定な状況だと感じています。ここ数年でお笑い番組が極度に減ったのは、大衆エンターテイメントが終わっていく流れに合わせた動きだと評価できます。お笑いも、トゲのある芸を劇場などで「お笑い好き」に披露して、見るべき人・見たい人のみが見るというような個別エンターテイメントが主流になっていく(あるいは、本来の姿に戻っていく)と考えられます。
 
 好きなものを選び、選ばれるというエンターテイメントの在り方。音楽の在り方。
 熱量がきっとそこには存在します。しかし、そこにしか存在しないのです。








 音楽の力で皆が一つになる―。

 最近よく言われる言葉です。
 音楽番組を減らしていったテレビ局の考えた台本だと考えると皮肉なものだなぁと思わずにはいられません。





 長々と、だらだらと書いてきましたが、ここらへんで止めておきます。
 現在、テレビが音楽を教えてくれるとは限りません。昔の名曲たちを大切に聴くもよし、自分から調べて面白そうな音楽を見つけるもよし、そこらへんの自由度は、昔よりもよくなったところかもしれません。
 良い曲のための条件はありません。自分の主観のみ。自分の好きな曲を好きなだけ楽しみたいです。